ナイロンの発明

100年前の日本は、絹がアメリカに日本から大量に輸出されていました。これをストッキングや絹織物にして婦人の服を作っていました。

また、絹は戦略物資として落下傘に使われていました。絹のタンパク質のフィブロインはグリシンとアラニンという最も簡単な2種類のアミノ酸を主な成分としています。アミノ酸というのはアミノ基とカルボキシル基の2つの反応基を持っている化合物です。

この二種の反応基が化学結合したアミド基で長くつながっているんが絹です。すでにクロロプレンという合成ゴムを発明していたアメリカデュポン社のカローザスは、「理論的により独創的なもの、すなわち合成絹」を目指して実験をしました。アミノ酸を始め、反応基を2つ持つあらゆる化合物を組み合わせる実験です。

アミノ基、カルボキシル基以外にも、カルボキシル基とエステル結合を作りやすい水酸基を持つ種々の化合物の組み合わせも試験していきました。1935年にはナイロン66を発明しました。このナイロン66は、アジピン酸というカルボキシル基を2つもつ化合物とヘキサメチレンジアミンというアミノ基を2つもつ化合物を化学結合させて長い鎖状にしたものです。1939年に工業化されました。が、カローザスは、1937年に自殺してしまいました。

カローザスに影響を与えたシュタウディンガーは1953年にノーベル化学賞を受賞しています。1940年にドイツや日本で発明されたナイロン6や41年にイギリスで発明されたポリエチレンテレフタレート樹脂も同じ原理を用いた2つの反応基を持つ化合物を化学版のされたものです。

なぜ、カローザスがこれらの優れたポリマーを見逃したのか、化学工業の難しいところです。

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